大阪天満紡績争議

機械制大工場における早期のストライキの代表例。1889年と1894年の二度にわたり発生。日本の紡績業で最初の労働争議とされる。甲府の雨宮製糸争議(1886)とともに初期の労働運動として注目。

①1889年9月30日から翌月6日にかけて、おりからの米価騰貴のなかで賃金引上げなどを要求して、300~400名が職場を放棄したが、憲兵の説諭と会社側の賃上げの約束とによって収束

②1894年1月26日、開業早々の第二工場において、賞与の出ないことと技師長に対する不満から30名ほどが食堂に立てこもって休業を呼びかけ、13名が勾引(こういん)されたが、同日の夜業は3分の1運転にとどまった。争議は失敗に終わり、4名の男工が2か月の重禁錮を科されたが、多数の職工が義捐(ぎえん)金を醵出(きょしゅつ)したといわれる。

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