6世紀

507 継体天皇(大伴金村が擁立)

512 任那四県割譲

513 五経博士が儒教伝える

522 仏教私伝(司馬達等の来日『扶桑略記』)

527 筑紫国造磐井の乱

531 欽明天皇(蘇我稲目が擁立)

538 仏教公伝(戊午説)

540 大伴金村失脚

552 仏教公伝(壬申説)

562 伽耶諸国滅亡⇨新羅が併合

581 隋建国 [首都は長安(現在の西安市)]

587 物部守屋(没)

崇峻天皇(蘇我馬子が擁立)

589 隋が南北朝統一

592 崇峻天皇暗殺(東漢直駒)

推古天皇

593 厩戸王が摂政

四天王寺

594 仏教興隆の詔

595 高句麗僧恵慈来朝

600 遣隋使(第一回)

7世紀

601 斑鳩宮造営

602 百済僧観勒来朝(暦本・天文地理などの書を伝える)

603 冠位十二階(天皇・蘇我氏は適用外)

604 憲法十七条

607 遣隋使(第二回)⇦小野妹子・日出処の天子

法隆寺

608 小野妹子帰国(with裴世清)

遣隋使(第三回)⇦小野妹子・僧旻・高向玄理・南淵請安

610 高句麗僧曇徴来朝(紙・墨・絵の具の製法を伝える)

614 遣隋使(第四回)⇦犬上御田鍬

615 恵慈が帰国(三経義疏をもって)

618 唐建国(隋滅亡)

620 『天皇記』『国記』の成立⇦乙巳の変で焼失(by蘇我蝦夷)

622 厩戸王(没)

天寿国繍帳(橘大郎女)

628 舒明天皇

630 遣唐使(第一回)⇦大使犬上御田鍬 (計19回派遣)

632 僧旻が帰国

640 高向玄理・南淵請安が帰国

642 皇極天皇

643 山背大兄王が自殺

645 乙巳の変(飛鳥板蓋宮)

孝徳天皇

大化の改新

難波長柄豊碕宮遷都

高句麗遠征開始⇦唐・新羅連合軍

646 改新の詔

大化の薄葬令

647 渟足柵

648 磐舟柵

655 斉明天皇

658 (~)阿倍比羅夫の蝦夷征討

660 唐・新羅の同盟

百済滅亡⇦唐・新羅連合軍

661 斉明天皇(没)[筑紫朝倉宮]

中大兄皇子称制

663 白村江の戦⇦唐の水軍に大敗

664 烽・防人[対馬・壱岐・筑紫など]・水城[太宰府]

甲子の宣(氏上・民部・家部・冠位二十六階)

665 大野城・基肄城(朝鮮式山城)[筑紫]

遣唐使(白村江の戦の敗戦に対応)

667 近江大津宮遷都(飛鳥岡本宮から)

金田城(朝鮮式山城)[対馬]

668 近江令

天智天皇

高句麗滅亡⇦唐・新羅連合軍

669 中臣鎌足(没)⇨大織冠・藤原姓

遣唐使(高句麗平定の祝賀を述べる)

670 庚午年籍(永久保存・日本書紀に記述なし)

唐・新羅戦争(~676)

671 大友皇子が太政大臣

天智天皇(没)

672 壬申の乱

673 天武天皇[飛鳥浄御原宮]

675 部曲の廃止

676 新羅が朝鮮半島統一

681 律令編纂開始

683 富本銭(天武12年の詔)

684 八色の姓

686 天武天皇(没)

鸕野讚良皇女称制

大津皇子の変

689 飛鳥浄御原令施行

草壁皇子(没)

690 持統天皇

庚寅年籍(初の班田台帳)

694 藤原京遷都

697 文武天皇

698 渤海建国

8世紀

701 大宝律令制定(刑部親王・藤原不比等)

702 大宝律令施行(評⇨郡)

班田収授法

大宝の遣唐使(大使粟田真人・山上憶良ら)⇦33年ぶり・「日本」号の使用

706 租二束二把⇨一束五把

707 元明天皇

708 和同開珎(唐の開元通宝をまねる・銅銭&銀銭)⇦武蔵国の銅・鋳銭司(令外官)が鋳造

709 私鋳銭の禁止

710 平城京(唐の長安城をモデル)

711 蓄銭叙位令

712 古事記(~推古天皇)⇦稗田阿礼・太安万侶

出羽国設置

713 風土記

大隅国設置

715 元正天皇

~里⇨郷、土断の法

717 養老元年

遣唐使(玄昉・吉備真備・阿倍仲麻呂←阿倍比羅夫の孫・科挙に合格・玄宗に仕える)

718 養老律令制定

720 日本書紀(~持統天皇)⇦舎人親王・太安万侶

藤原不比等(没)⇨長屋王政権

隼人の反乱(大伴旅人が鎮圧)

722 百万町歩開墾計画

723 三世一身の法(養老七年の格)

724 聖武天皇

⇨「宮子」尊称問題

多賀城設置(陸奥国府・鎮守府)⇦大野東人[1978 漆紙文書の発見]

727 渤海使来日

729 長屋王の変⇨藤原四子政権⇨光明子の立后

733 秋田城設置

737 藤原四子(没)⇨橘諸兄政権(吉備真備・玄昉を登用)

740 藤原広嗣の乱[太宰府]

恭仁京遷都

741 国分寺建立の詔

743 墾田永年私財法

大仏造立の詔[離宮紫香楽宮]→紫香楽で造立開始

744 難波宮遷都⇨紫香楽宮遷都

745 平城京還都

玄昉左遷(筑紫観世音寺)

東大寺で大仏造立開始(仏師国中公麻呂らの指揮)→財政の悪化・農民の負担増

行基が大僧正

749 孝謙天皇

藤原仲麻呂が大納言兼紫微令⇨藤原仲麻呂政権

750 吉備真備左遷(筑前守)

752 大仏開眼供養(1万数千人が参列・仏教公伝200年の節目に合わせ仕上げは未完成)

遣唐使(大使藤原清河・副使大伴古麻呂・副使吉備真備)←玄宗皇帝に謁見

753 新羅と席次争い(大伴古麻呂の抗議)

遣唐使の帰国時、鑑真が来日を図る(藤原清河・阿倍仲麻呂は安南[ベトナム]に漂着→755年に長安に帰還し唐に仕える)

754 鑑真来日

755 安史の乱(~763)

756 聖武太上天皇(没)

757 養老律令施行

橘奈良麻呂の変(橘奈良麻呂・大伴古麻呂ら獄死)

大仏の仕上げ完成(光背の完成は771年)

758 淳仁天皇

⇨恵美押勝の賜姓・官職の唐風改称

759 遣唐使(藤原清河を迎えるため・小規模←安史の乱の影響で果たせず)

新羅征討計画

760 光明皇太后(没)

万年通宝、開基勝宝(金貨・皇朝十二銭でない)

764 恵美押勝の乱(三関の固関・吉備真備の指揮・平城京脱出→愛発関の突破できず→琵琶湖で斬首)⇨淡路廃帝

称徳天皇(出家のまま即位)⇨道鏡政権

765 加墾禁止令(寺社を除き一切の墾田私有を禁止)

道鏡が太政大臣禅師

766 道鏡が法王(天皇に準じる身分)

吉備真備が右大臣

769 宇佐八幡宮神託事件

770 称徳天皇(没)

光仁天皇(62歳)

⇨道鏡左遷(下野国薬師寺)

772 無制限私財法

他戸親王を廃太子⇦藤原百川の陰謀?

777 遣唐使

780 伊治呰麻呂の乱

781 桓武天皇

784 長岡京(藤原種継が造営使)

785 藤原種継暗殺⇨早良親王自殺[淡路]

789 紀古佐美の遠征[衣川で敗退]

792 健児の制

794 平安京(和気清麻呂の建言)

795 公出挙5割⇨3割・雑徭60日⇨30

797 勘解由使

坂上田村麻呂の遠征(阿弖流為)

続日本紀(菅野真道ら)

9世紀

801 班田励行(61班⇨121班)[一紀一班]

802 胆沢城(多賀城から鎮守府を移す)

803 志波城

804 遣唐使(橘逸勢・最澄・空海ら)

805 徳政相論(藤原緒嗣・菅野真道)⇨軍事と造作の中止

806 平城天皇

809 嵯峨天皇

810 薬子の変⇨蔵人頭(藤原冬嗣・巨勢野足)

811 文室綿麻呂の遠征(最後の蝦夷征討)

816 検非違使

820 弘仁格式

823 淳和天皇

公営田[太宰府]

833 仁明天皇

令義解

838 最後の遣唐使(円仁『入唐求法巡礼行記』)←2度失敗→副使小野篁が大使藤原常嗣と対立し乗船拒否→漢詩で風刺→嵯峨上皇激怒→隠岐へ配流(わたの原…)→840年許され帰京

840 日本後紀(藤原冬嗣・藤原緒嗣ら)

842 承和の変⇨恒貞親王廃太子&伴健岑・橘逸勢ら流罪

850 文徳天皇

853 円珍が入唐(遣唐使ではない)

857 藤原良房が太政大臣

858 清和天皇

⇨藤原良房が事実上の摂政

866 応天門の変(伴善男・紀豊城ら流罪)

⇨藤原良房が正式に摂政

869 続日本後紀(藤原良房ら)

貞観格

871 貞観式

872 藤原良房(没)

875 黄巣の乱(~884)

876 陽成天皇

879 日本文徳天皇実録(藤原基経ら)

元慶官田[畿内]

880 藤原基経が太政大臣

884 光孝天皇(55歳)

⇨藤原基経が事実上の関白

887 宇多天皇(寛平の治)

888 (887~)阿衡の紛議⇨橘広相を処罰⇨藤原基経が関白

891 藤原基経(没)⇨菅原道真が蔵人頭

894 遣唐使廃止(菅原道真の建議←自身が遣唐大使に任じられたため)

897 醍醐天皇⇦『寛平御遺戒』(宇多天皇)

10世紀

901 昌泰の変(菅原道真を太宰権帥に左遷)

日本三代実録(藤原時平・菅原道真ら)

902 延喜の荘園整理令、最後の班田

905 古今和歌集

907 延喜格

唐の滅亡→五代十国

909 藤原時平(没)

914 意見封事十二箇条(三善清行)

916 遼(契丹)建国

918 高麗建国

926 渤海滅亡(遼の侵入)

927 延喜式

930 朱雀天皇(藤原忠平が摂政⇦天皇幼少のため)

935 平将門の乱(~40年)⇦平貞盛・藤原秀郷が鎮圧

新羅滅亡

936 藤原忠平が太政大臣

高麗が朝鮮半島統一

939 藤原純友の乱(~41年)⇦小野好古(小野篁の孫で小野道風の兄)・源経基が鎮圧

941 藤原忠平が関白

946 村上天皇

947 「契丹」→「遼」に国号を改める(983年に契丹に戻す・1066年に遼に戻す)

949 藤原忠平(没)⇨摂関置かず

958 乾元大宝

960 北宋建国

967 冷泉天皇(藤原実頼が関白)

969 安和の変⇨摂関常置へ

円融天皇

970 藤原実頼(没)

979 宋が中国統一

988 尾張国郡司百姓等解(藤原元命)

995 藤原道長が内覧⇨右大臣⇨氏長者

996 藤原道長が左大臣

11世紀

1016 藤原道長が摂政

1017 藤原道長が太政大臣⇨摂政と氏長者を藤原頼通に譲る

1018 藤原威子が後一条天皇の中宮

1019 刀伊(遼支配下の女真族)の入寇(太宰権帥・藤原家隆[伊周の弟]が撃退)、藤原道長出家、藤原頼通が関白

1022 法成寺造営

1027 藤原道長(没)

1028 平忠常の乱[房総半島]⇦甲斐守・源頼信が追討使(源氏東国進出の契機)

1045 寛徳の荘園整理令

1051 前九年の役(~62年)

1052 末法元年(末法の世に突入)

1053 平等院鳳凰堂造営

1068 後三条天皇

⇨藤原頼通は宇治に閉居

1069 延久の荘園整理令、記録荘園券契所

1072 白河天皇

1074 藤原頼通(没)

1083 後三年の役(~87年)

1086 堀河天皇⇨白河上皇の院政開始

12世紀

1107 源義親の乱[出雲](源義家の子)⇦平正盛が鎮圧(平氏西国進出の契機)

鳥羽天皇

1115 金建国(遼支配下の女真族が独立)

1123 崇徳天皇

1125 遼の滅亡⇦金の侵入

1127 南宋建国(北宋滅亡⇦金の侵入)

1129 白河上皇(没)⇨鳥羽の院政開始、瀬戸内海の海賊討伐(平忠盛)

1141 近衛天皇

1155 後白河天皇

1156 鳥羽法皇(没)

⇨保元の乱(崇徳上皇vs後白河天皇)

1158 後白河の院政開始

1159 平治の乱

1161 高倉天皇

1167 平清盛が太政大臣

1171 平徳子が入内(72年に中宮)

1177 鹿ケ谷の陰謀(俊寛(真言宗僧)を鬼界ヶ島に配流、藤原成親を備前国に配流のち殺害・藤原師光(西光)を朱雀大路で斬首)

1179 後白河法皇を幽閉[鳥羽殿]⇨院政停止

1180 安徳天皇

以仁王の令旨⇨源頼政(77歳)が宇治平等院で敗死

福原京遷都(6月)

源頼朝が挙兵(伊豆)⇨石橋山の戦い(梶原景時が頼朝救う)⇨富士川の戦い(源範頼・義経が参加)

源義仲が挙兵(信濃)→北陸道を西上

侍所設置(別当・和田義盛)

平安京還都(11月)

平重衡が南都焼き討ち

1181 平清盛(没)

(~82年)養和の飢饉(特に西日本・『方丈記』に記述)→平氏に打撃

1183 砺波山(倶利伽羅峠)の戦い(平維盛を破る)

源義仲入京

寿永二年十月宣旨(源頼朝に東国支配権承認)

1184 源範頼・源義経が義仲追討

一ノ谷の戦い

公文所(後に政所)・問注所(執事・三善康信)設置

1185 屋島の戦い・壇ノ浦の戦い

守護・地頭設置(大江広元の建議)

京都守護・鎮西奉行設置

1189 奥州藤原氏滅亡(藤原泰衡)

奥州総奉行設置

1190 源頼朝が従二位・右近衛大将→すぐ辞職

1191 政所(元公文所)設置(別当・大江広元)

1192 後白河法皇(没)

源頼朝が征夷大将軍(後鳥羽)

1199 源頼朝(没)→源頼家が左中将・第二代鎌倉殿→頼家の親裁停止→十三人合議制

1200 梶原景時の乱

13世紀

1202 源頼家が征夷大将軍

1203 比企能員の乱→源頼家も伊豆国修禅寺に幽閉

源実朝が征夷大将軍

北条時政が執権(政所別当に就任)

1204 源頼家暗殺

1205 畠山重忠の乱

牧ノ方事件→北条政子・義時により時政出家→伊豆に追放

北条義時が執権(政所別当に就任)

1213 和田合戦

→北条義時が侍所・政所の別当=執権の地位確立

1219 源実朝が右大臣拝賀の儀式で公暁(頼家の子・実朝の猶子)により暗殺→直後に公暁も討たれる

九条頼経(九条道家の子)が鎌倉下向(2歳)

1221 承久の乱(北条泰時・北条時房を京都に派遣)

六波羅探題設置(初代長官・北条泰時・北条時房)←もと京都守護

1223 新補率法

1224 伊賀氏の変

北条義時(没)←毒殺?

北条泰時が執権

1225 評定衆・連署(北条時房)設置

北条政子(没)

大江広元(没)

1226 九条頼経が征夷大将軍

1231 寛喜の飢饉

1234 金の滅亡(モンゴルの侵入)

1232 貞永式目

1242 北条泰時(没)→北条経時が執権

1244 九条頼嗣が征夷大将軍

1246 北条時頼が執権

宮騒動

→九条頼経を京都に追放

1247 宝治合戦(三浦泰村・光村を滅ぼす)

1249 引付衆設置

1252 宗尊親王が征夷大将軍(後嵯峨天皇の子)

1253 建長寺建立(蘭渓道隆)

1256 北条長時が執権

北条時頼の得宗専制

1260 日蓮が『立正安国論』を幕府に上呈

1263 北条時頼(没)

1264 執権北条長時(没)→北条政村(一門の長老)が執権

1268 蒙古使が来日

北条時宗が執権

1269 元が国書送付

1271 元王朝の成立[首都は大都(現在の北京)]

1273 三別抄の乱を鎮圧→モンゴルが高麗征服完了

1274 文永の役(cf.『蒙古襲来絵巻』)

1275 紀伊国阿氐河荘民の訴状(地頭・湯浅宗親を荘園領主に提訴)

杜世忠ら元使一行を竜ノ口で斬首

1276 異国警固番役の強化

1279 南宋の滅亡(元の侵入)

1281 弘安の役

1282 円覚寺建立(無学祖元)

1284 北条時宗(没)→北条貞時が執権

1285 霜月騒動(安達泰盛の乱)平頼綱

1293 平禅門の乱

鎮西探題設置←もと鎮西奉行

1297 永仁の徳政令

14世紀

1311 北条貞時(没)→北条高時が得宗

1316 北条高時が執権

1317 文保の和談

1318 後醍醐天皇

1321 天皇親政開始

記録所設置

1324 正中の変

1325 建長寺船

1331 元弘の変

光厳天皇擁立(鎌倉幕府が)

1333 鎌倉幕府滅亡

1334 建武改元

1335 中先代の乱

箱根・竹ノ下の戦い

1336 湊川の戦い足利尊氏が京都制圧

光明天皇擁立(足利尊氏が)

建武式目

1338 足利尊氏が征夷大将軍

1339 後醍醐天皇(没)

『神皇正統記』(小田原城で完成)

1340 『職原抄』(有職故実書)

1342 天竜寺船(夢窓疎石の勧め)

1350 観応の擾乱

1352 観応半済令

1368 足利義満が征夷大将軍(管領・細川頼之の補佐)

応安半済令

元滅亡

明建国(朱元璋・洪武帝)

1369 倭寇の禁圧要求を拒否(洪武帝征西将軍・懐良親王)

1371 九州探題・今川了俊

1372 征西将軍府を攻撃・九州制圧

1378 室町を本拠(花の御所)

1382 足利義満が左大臣

1383 准三后

1390 土岐氏の乱(土岐康行の乱)

1391 明徳の乱(“六分の一殿”山名氏清)

1392 後小松天皇←南北朝合一(後亀山後小松)

李氏朝鮮建国(李成桂)高麗滅亡

1394 足利義満が太政大臣

足利義持が征夷大将軍

1395 足利義満が出家

1399 応永の乱(大内義弘・今川貞世が結託)

15世紀

1401 祖阿(僧)・肥富(博多商人)を明に派遣(「日本准三后某」の名)

1402 明使来日→「日本国王源道義」として承認・大統暦を下賜

1403 永楽帝に「日本国王臣源」の名で朝貢

1404 勘合を授かる(日明貿易の開始)

1408 足利義満(没)

1411 日明貿易(勘合貿易)中断

1416 上杉禅秀の乱

1419 応永の外寇

1423 足利義量将軍

1425 足利義量(没)←酒の飲み過ぎ

1428 足利義持(没)

正長の土一揆

1429 播磨の土一揆

足利義教将軍

琉球王国(尚巴志)

1432 日明貿易(勘合貿易)再開

1438 永享の乱

1440 結城合戦

1441 嘉吉の乱

嘉吉の土一揆初の徳政令

1442 足利義勝将軍(9歳)

1443 足利義勝(没)←赤痢

嘉吉条約(癸亥約定)宗貞盛

1449 足利義政将軍

1454 享徳の乱

1457 コシャマインの乱(蠣崎氏が鎮圧)

1467 応仁の乱

1473 足利義政(没)

足利義尚将軍(9歳)

1485 山城の国一揆

1488 加賀の一向一揆

1489 今堀地下掟(今堀日吉神社文書・近江国)

1493 堀越公方(茶々丸)(没)北条早雲

16世紀

1510 三浦の乱

1523 寧波の乱→大内氏が勘合貿易独占

1532 法華一揆

1536 天文法華の乱

1543 鉄砲伝来

1549 キリスト教伝来

1551 勘合貿易の断絶(大内義隆が陶晴賢に討たれる→大内氏滅亡)

1552 三好長慶

1553 川中島の戦い(~64年)

1560 田楽狭間の戦い

1561 上杉謙信

1562 清洲の会盟

1563 三河の一向一揆

1567 美濃の斎藤氏滅ぼす天下布武(岐阜城)

1568 足利義昭を奉じて入京

1569 撰銭令

堺直轄化

1570 姉川の戦い(近江国)

石山戦争(~80年)

1571 延暦寺焼き討ち

越前吉崎道場

1573 室町幕府滅亡(足利義昭を京都から追放)

1574 伊勢長島の一向一揆

1575 長篠の戦い

越前の一向一揆

1576 安土城

1577 楽市令

1579 安土宗論

1580 加賀の一向一揆鎮圧

長崎をイエズス会に寄進(大村純忠)1588年没収し直轄化

1581 天目山の戦い

1582 本能寺の変

山崎の戦い(山城国)

清洲会議

天正遣欧使節

1583 賤ケ岳の戦い(柴田勝家を破る)近江国

大坂城の築城開始

1584 小牧長久手の戦い(家康を臣従させる)

イスパニア平戸に来航

1585 四国平定(長宗我部元親)、紀伊平定(根来・雑賀)

秀吉が関白

惣無事令(九州)

1586 惣無事令(関東・奥羽)

秀吉が太政大臣

豊臣賜姓

1587 九州平定(島津義久)

→バテレン追放令(帰路に博多で発令)

北野茶大会

朝鮮に入貢と明への先導を要求

1588 聚楽第行幸(後陽成天皇)

刀狩令、海賊取締令

長崎没収直轄化

1590 小田原攻め、奥州平定(伊達政宗)全国統一完成

検地反対一揆(大崎・葛西一揆)

1591 身分統制令

1592 人掃令(秀次)

文禄の役

1593 碧蹄館の戦い

1596 サンフェリペ号事件[土佐]→26聖人殉教[長崎]

1597 慶長の役

1598 豊臣秀吉(没)

1600 関ヶ原の戦い

イギリス東インド会社設立

リーフデ号事件(オランダ船)[豊後](英人三浦按針・蘭人耶揚子は家康の外交顧問)

17世紀

1601 (~)寺院法度(諸宗諸本山法度)

1602 オランダ東インド会社設立

1603 江戸幕府(後陽成天皇)

1604 糸割符制度[長崎・京都・堺→1631年以降は江戸・大坂も]←ポルトガル商人の利益独占阻止・のち明やオランダにも適用

松前氏承認

1605 徳川秀忠将軍宣下

1607 回答兼刷還使

1609 ドン=ロドリゴ(ロドリゴ・デ・ビベロ)ルソン前総督が漂着[上総]

オランダ平戸商館

己酉約定(慶長条約)

琉球出兵(島津家久)

1610 ドン=ロドリゴをノヴィスパンに送還し田中勝介(京都商人)が同行

1612 禁教令(天領)

1613 禁教令(全国)

イギリス平戸商館

慶長遣欧使節(伊達政宗が家臣の支倉常長をスペインに派遣)→ローマ教皇に謁見→1620年に帰国

1614 高山右近らマニラ追放

大坂冬の陣

1615 大坂夏の陣

一国一城令

武家諸法度元和令、禁中並公家諸法度

1616 貿易港を長崎・平戸に限る(中国船以外)

徳川家康(没)

1617 「東照大権現」の神号勅許

1622 元和の大殉教

1623 イギリス平戸商館閉鎖(オランダとの競争に敗北)

徳川家光将軍

1624 イスパニア船来航禁止

1627 紫衣事件

1628 末次平蔵船の朱印状破られる[台湾]

1630 禁書令

1631 奉書船制度(朱印状の海外携行禁止・朱印船の海外渡航を老中の許可制へ)

1632 徳川秀忠(没)

1633 鎖国令①寛永十年令(奉書船以外の渡航禁止・5年以上は帰国禁止)

1634 鎖国令②(鎖国令①の最通達・長崎に出島の建設を開始)

1635 武家諸法度寛永令

鎖国令③寛永十二年令(日本人の海外渡航・帰国全面禁止・明船の入港を長崎に限定)、500石積以上の大船建造禁止(武家諸法度寛永令)

1636 ~寛永通宝

鎖国令④(貿易に関係ないポルトガル人と妻子をマカオへ追放・残りのポルトガル人を出島移送)

1637 島原の乱(~38年)

1639 鎖国令⑤寛永十六年令(出島のポルトガル人追放・ポルトガル船かれうたの来航禁止)幕府はポルトガルに代わりオランダが必需品を提供できるかを予め確認

1640 ~寺請制度

1641 オランダ商館移転[平戸出島]鎖国完成

1642 寛永の飢饉

1643 田畑勝手作の禁、田畑永代売買の禁

1644 明が滅亡

1645 日光東照社に宮号日光東照宮

1646 日光例幣使(幕府の要請)、伊勢例幣使の再興許可

1649 慶安の触書

1651 徳川家光(没)

慶安の変

徳川家綱将軍

末期養子の禁緩和

1652 佐倉惣五郎一揆

1654 黄檗宗(隠元)

1655 糸割符制度廃止相対自由貿易

1657 明暦の大火(振袖火事)

1663 殉死の禁止

1664 寛文の御朱印改

1665 大名証人制廃止

諸宗寺院法度・諸社禰宜神主法度

1666 諸国山川掟

1669 シャクシャインの戦い

1671 河村瑞賢の海運整備(~72年)

1672 河村瑞賢の海運整備(~72年)

1673 分地制限令

呉服店越後屋(三井高利)

1680 徳川綱吉将軍

1683 武家諸法度天和令

1684 堀田正俊暗殺(稲葉正休)

天文方設置

貞享暦

服忌令

1685 糸割符制度再開定高仕法

鉄砲禁止令

(~)生類憐みの令

1687 大嘗祭(221年ぶり)

1688 唐人屋敷

清船70

柳沢吉保が側用人

1689 歌学方(北村季吟)

1690 湯島聖堂

1691 大学頭(林鳳岡)

別子銅山開坑

1694 賀茂葵祭(192年ぶり)

1695 元禄金銀

1697 農業全書(宮崎安貞)

1700 1=5060

18世紀

1702 赤穂事件

1704 柳沢吉保が甲府藩主

1705 禁裏御料の増加

1706 宝永小判

1707 富士山噴火

1708 諸国高役金

1709 徳川家宣将軍

正徳の治(~15年)

1710 閑院宮家の創設

乾字金

1711 朝鮮通信使待遇簡素化

大君一件(日本国大君日本国王)

1712 荻原重秀罷免

1713 分地制限令改正

徳川家継将軍

1714 正徳金銀

1715 海舶互市新例(正徳新例・長崎新例とも)

1716 徳川吉宗将軍

1717 大岡忠相が江戸町奉行

1719 相対済し令

1720 漢訳洋書輸入禁緩和

1721 目安箱設置

勘定奉行公事方・勝手方

田中丘隅『民間省要』を幕府に献上

1722 小石川養生所設置

上げ米の制(~’30年)

検見法定免法

新田開発奨励

質流し禁令質地騒動(越後国頸城(’22)・出羽国長瀞(’23))

1723 質流し禁令撤廃

足高の制

1724 物価引下げ令

倹約令

1726 懐徳堂を準官学化(中井甃庵・三宅石庵ら)

1728 『町人考見録』(三井高房)

1730 堂島米市場公認

1732 享保の飢饉

1733 江戸で初めての打ちこわし(米商・高間伝兵衛宅)

1734 (~)破免検見

1735 『蕃藷考』刊行(青木昆陽)

1736 元文金銀

1740 青木昆陽(書物方)

1742 公事方御定書

1744 御触書寛保集成(宝暦・天明・天保もあり)

1745 徳川家重将軍

1754 郡上一揆(美濃)

久留米藩全藩一揆

1758 宝暦事件

1760 徳川家治将軍

1764 伝馬一揆

1765 明和五匁銀

1767 田沼意次側用人

赤子養育法

明和事件

1768 寛永通宝の真鍮四文銭

1772 田沼意次老中

南鐐二朱銀

明和の大火

1778 勘定所御用達

ロシア船来航(厚岸)

1781 絹糸貫目改所上州絹一揆

1782 天明の飢饉

1783 浅間山の噴火

白河藩主松平定信

赤蝦夷風説考(工藤平助)

1784 田沼意知暗殺(佐野政言)

1785 三国通覧図説

最上徳内千島派遣・調査(~86年)

1786 海国兵談

徳川家治(没)田沼罷免

1787 徳川家斉将軍

老中松平定信

倹約令

天明の打ちこわし(大阪全国)

1788 田沼意次(没)

1789 囲米

棄捐令

尊号一件

衣服・調度品の奢侈禁止

1790 旧里帰農令

人足寄場(石川島)

寛政異学の禁

1791 七分金積立

出版統制令(洒落本・黄表紙)

男女混浴禁止

1792 ラクスマン来航(根室・通商要求)

諸大名に海防命令

蝦夷地方防備作

林子平処罰

1793 ロシア通商拒否(長崎入港を許可)

伊豆・相模を巡見

松平定信辞職

1797 昌平坂学問所

1798 近藤重蔵蝦夷・千島

1799 東蝦夷地直轄化

1800 伊能忠敬(蝦夷)

19世紀

1801 鎖国論(志筑忠雄)

1802 蝦夷奉行箱館奉行

1804 レザノフ来航(長崎)

1805 関東取締出役

1806 文化の撫恤令(文化三年)

1807 全蝦夷地直轄化(箱館奉行松前奉行)

1808 フェートン号事件(長崎・松平康英自害)

間宮林蔵が樺太探検

1811 ゴローウニン事件(国後島)

1812 高田屋嘉兵衛抑留

1813 ゴローウニン・高田屋嘉兵衛の交換釈放

江戸地廻り経済圏の強化

1821 蝦夷地松前氏に復封

大日本沿海輿地全図の完成(天文方高橋景保)

1822 農具便利論(大蔵永常)

1824 イギリス人が常陸大津浜・薩摩宝島に上陸

1825 文政の異国船打払令(無二念打払令・文政八年)

1827 文政の改革

寄場組合・改革組合村

1828 シーボルト事件

1833 天保の飢饉

1836 郡内一揆

加茂一揆

1837 徳川家慶将軍

大塩平八郎の乱

生田万の乱(越後柏崎の国学者)

モリソン号事件(浦賀・山川)

1839 蛮社の獄

老中首座水野忠邦

1840 三方領知替え反対一揆(川越庄内長岡)

アヘン戦争

1841 株仲間解散令

倹約令

徳川家斉(没)

1842 天保の薪水給与令

出版統制令

南京条約

1843 上知令

人返しの法

棄捐令

水野忠邦失脚

1844 オランダ国王ウィレム2世の開国勧告家慶は拒否

広益国産考(大蔵永常)

1846 ビッドル来航(浦賀)

1853 ペリー来航

徳川家慶(没)

阿部正弘の意見書

徳川斉昭の幕政参与

プウチャーチン来航(長崎)

徳川家定将軍

1854 ペリー再来航

日米和親条約(神奈川条約)下田・箱館

プウチャーチン再来航

徳川斉昭の辞任

琉米修好条約

日英和親条約

1855 日露和親条約(下田)長崎の開港

老中首座堀田正睦

1856 日蘭和親条約

米総領事ハリス(下田)

アロー号事件

一橋派(一橋慶喜)

1857 阿部正弘(没)

1858 井伊直弼大老

天津条約

日米修好通商条約(長崎・神奈川・新潟・兵庫)

安政の五カ国条約(米・蘭・露・英・仏)

徳川家定(没)

安政の大獄

徳川家茂将軍

1859 貿易スタート

1860 桜田門外の変

安藤信正老中

五品江戸廻送令

万延小判

ヒュースケン殺害

1861 ロシア軍艦対馬占領事件(ポサドニック号事件)(3.148.15)

東禅寺事件(第一次)

1862 和宮降嫁

坂下門外の変

寺田屋事件

文久の改革

生麦事件

イギリス公使館焼打ち事件(品川御殿山)高杉晋作・久坂玄瑞・井上馨・伊藤博文・品川弥二郎ら

尊王攘夷派が朝廷を掌握(三条実美ら)

1863 文久の攘夷令(打払令)

長州藩外国船砲撃事件

高杉晋作が奇兵隊結成

薩英戦争

八月十八日の政変

天誅組の変

生野の変

1864 天狗党の乱

池田屋事件

禁門の変

第一次長州征討幕府に恭順保守派が勢力回復高杉晋作らが下関で挙兵し勝利

四国艦隊下関砲撃事件(オールコック)

1865 条約勅許

坂本龍馬と西郷隆盛が京都で会談

伊藤博文・井上馨らが武器購入(グラバー)

















1866 孝明天皇没(12.25)

慶應の打ちこわし(5)摂津西宮~大坂周辺へ拡大・米価高騰が背景

武州世直し一揆(武蔵国)(6.136.19)

1867 明治天皇(1.9)14

ええじゃないか(東海地方中心)(8~)

大政奉還(10.14)

討幕の密勅(10.14)

ええじゃないか(上方中心)(1112)

王政復古の大号令(12.9)

小御所会議(12.9)辞官納地の命令

徳川慶喜が大坂城に引き上げ(12.13)

旧幕府側が江戸薩摩藩邸焼き討ち(戊辰戦争の契機)(12.25)武力倒幕を目論む西郷による旧幕府側の挑発が原因(相楽総三らを使って薩摩藩邸を拠点に江戸市中での放火掠奪暴行など)

1868 鳥羽伏見の戦い(1.31.6)

徳川慶喜が大坂城から海路で江戸へ退却(1.6)上野寛永寺で謹慎

慶喜追討令(1.7)

赤報隊結成(近江国金剛輪寺)(1.8)西郷・岩倉らの支援

神戸事件(1.11)

有栖川宮熾仁親王が東征大総督(2.9)

東征軍が進軍を開始(2.15)

堺事件(2.15)

彰義隊結成(慶喜の護衛などを目的)(2.23)

赤報隊を偽官軍として相楽総三ら8名処刑(3.3)

神仏分離令(3.1310.18)廃仏毀釈運動を誘発護法一揆

五箇条の御誓文(3.14)戊辰戦争および13月の攘夷事件多発を背景

江戸城無血開城・徳川慶喜の水戸謹慎の決定(3.14)

江戸総攻撃予定日(3.15)

五榜の掲示(3.15)

大阪行幸(3.23)大久保利通の提言・40日余り滞在

江戸城無血開城慶喜は寛永寺を出て水戸へ退去(彰義隊は寛永寺に残る)(4.11)

前島密の建白書が大久保に届く

浦上信徒弾圧事件(閏4.17)

会津戦争(閏4.209.22)

政体書公布(閏4.21)副島種臣・福岡孝弟(アメリカ合衆国憲法・『西洋事情』等を参考)

太政官札(金札)発行(5.15)由利公正の建議・財政補完目的・高額金札中心・不換紙幣

上野戦争(5.15)彰義隊が寛永寺一帯に立て籠もり

江戸を東京府に改称(7.17)

明治改元の詔・一世一元の制(9.8)

会津若松城落城(9.22)

東京行幸(1度目)(10.13)

箱館戦争(10.2169.5.18)

京都に還幸(12)

1869 4藩主(島津忠義・毛利敬親・山内豊範・鍋島直大)が版籍奉還の上表を提出(1.20)

東京行幸(2度目)東京奠都(3.28)

土方歳三戦死(5.11)

榎本武揚が五稜郭で降伏(5.18)

版籍奉還勅許(6.17)

華族制度創設(6.17)

士族制度創設(6.25)

東京招魂社設立(6.29)大村益次郎の建議

大蔵省設置(大隈重信が大蔵大輔)(7.8)大隈財政(明治十四年の政変まで)

兵部省設置(7.8)

北海道開拓使設置(7.8)

宣教使設置(7.8)大教の宣布・宣教を目的・神道の布教によってキリスト教の進出を防止

鉄道建設建議書(10)伊藤・大隈

大村益次郎没(11.5)

民部省札発行(11.15)太政官札の補完・小額紙幣・民間需要に対応・不換紙幣

1870 大教宣布の詔(1.3)

工部省設置(閏10.20)

1871 御親兵の組織(2.13)西郷隆盛が上京

郵便制度発足(東京・大阪間)(3.1)駅逓権正前島密の建議

戸籍法制定(4.4)大区・小区制も

新貨条例(5.10)金本位制度採用・円銭厘10進法・旧1=1

近代社格制度(官弊社・国弊社制度)(5.14)のちに別格官幣社創設(72~)

長崎~上海間海底ケーブル開通(6)デンマーク大北電信会社

廃藩置県(7.14)

3302県(7.14)

日清修好条規(7.29)初の対等条約・日本政府が不満で批准が遅れる・73.4.30批准

散髪脱刀令(8.9)

四鎮台(東京・大阪・鎮西・東北)設置(8.20)

賎民解放令(8.28)

田畑勝手作禁解禁(9.7)

長崎~ウラジオストク間海底ケーブル開通(10)デンマーク大北電信会社

372県(10.2811.22)

東京府に邏卒制度(10.23)薩摩・長州・越前・会津・旧幕臣の士族3000

琉球漁民殺害事件(11.8)

岩倉使節団が横浜港出発(11.12)西郷留守政府

県治条例(11.27)府県行政の基準を示す

1872 卒族廃止(1.29)一部を士族・多くは平民

戸籍法施行(2.1)

壬申戸籍の編成開始(2.1)

田畑永代売買禁解禁(2.15)

兵部省廃止陸軍省・海軍省設置(2.27)

御親兵を近衛に改称(3.9)総指揮官は近衛都督(初代山県有朋・2代西郷隆盛)・天皇に直隷

鎮西鎮台を熊本鎮台に改称(4.1)

明治通宝(ゲルマン札)発行(4幣制の一本化・偽造紙幣に対応

地券(壬申地券)交付(7.4)

学制(8.2)

琉球藩設置(9.14)国王尚泰を藩王(華族)

富岡製糸場の操業開始(10.4)ブリューナー(フランス)の援助

新橋~横浜間の開通(10.14)イギリスの援助・100万ポンド借款

国立銀行条例(11.15)

徴兵告諭(11.28)

明治5年は122日まで(天保暦グレゴリオ暦)

1873 天長節制定(1.4)神武天皇即位日と天長節(天皇誕生日)を祝日とする布告

六鎮台(名古屋鎮台・広島鎮台設置・東北鎮台を仙台鎮台に改称)(1.9)

徴兵令(1.10)鎮台に配備

キリシタン禁制の高札撤去(2.24)

紀元節制定(3.7)神武天皇即位日を紀元節と称することを定めた

美作北条県の血税一揆(5.266.1)死刑15人・懲役刑64人・処罰者27千人

第一国立銀行(7.20)三井組・小野組の出資・渋沢栄一の経営

地租改正法・地租改正条例制定(7.28)翌年から地租改正着手

西郷の朝鮮派遣を決定(8.17)岩倉帰国後の再討議を明治天皇が決定

岩倉使節団が横浜港到着(9.13)

太政大臣三条が西郷の朝鮮派遣を最終決定(10.15)

岩倉・大久保・木戸ら内治派が辞表提出(10.17)

三条実美が急病で倒れる(10.18)

右大臣岩倉が太政大臣代理となる(10.19)

岩倉の奏上により明治天皇が遣使延期を決定(10.24)

西郷ら征韓派が下野(明治六年の政変)(10.2410.25)大久保政権へ

大隈重信が大蔵卿就任(10.2580.2.28)

寺島宗則が外務卿就任(10.2879.9.10)

内務省設置(11.10)

李氏朝鮮で大院君失脚(11.24)閔妃政権(21歳)

秩禄奉還の法(12.2775.7.14)禄高100石未満の希望者に6年分の俸禄の半分を現金・残り半分を秩禄公債で支給・事業資金に充てさせる・士族の3割が応募

1874 愛国公党結成(板垣・後藤・江藤・副島ら)(1.12)

東京警視庁設置(内務省管轄)(1.15)川路利良の建議・近代的警察制度の発足

愛国公党が太政官左院に『民撰議院設立建白書』提出(1.17)

『日新真事誌』に掲載(1.18)

佐賀の乱(2.13.1)徴兵令による軍隊が鎮圧

邏卒を巡査に改称(2.2)

立志社結成(土佐・社長片岡健吉)(4.10)当初は士族救済を目的

江藤新平ら斬首(4.13)

木戸孝允が下野(4.18)台湾出兵に反対

台湾出兵(5.612.3)西郷従道・熊本鎮台兵など出兵・マラリア被害

大阪~神戸間の開通(5.11)

日清両国間互換条款(10.31)全権弁理大臣大久保利通が北京で清国政府と交渉・イギリス公使ウェードの斡旋・保民の義挙と認めさせる

1875 大阪会議(2.11)

愛国社結成(大阪)(2.22)板垣退助の呼びかけ・板垣の参議復帰で自然消滅

木戸孝允が参議復帰(3.8)

板垣退助が参議復帰(3.12)愛国社創立運動の失敗・自由民権派からの糾弾

地租改正事務局設置(3.24)地租改正の本格実施(80年完了)

漸次立憲政体樹立の詔(4.14)

樺太・千島交換条約(5.7)中露公使榎本武揚

讒謗律・新聞紙条例(6.28)

家禄・賞典禄の金禄化(9.7)

江華島事件(9.20)

1876 特命全権大使黒田清隆を朝鮮に派遣(1)

日朝修好条規(2.26)

廃刀令(3.28)

国立銀行条例改正(8.1)

金禄公債証書発行条例公布(8.5)

天皇から国憲起草の命(9)日本国憲按(元老院)作成

神風連の乱(10.2410.25)

秋月の乱(10.27~)

萩の乱(10.28~)

真壁騒動(11.2712.10)

伊勢暴動(愛知県・岐阜県・堺県に波及)(12.1812.24)

1877 地租軽減(1.4)

工部大学校設置(1.11)

神戸~大阪~京都間の開通(2.5)

西南戦争(2.159.24)

木戸孝允没(5.26)

万国郵便連合加入(6.1)

「立志社建白」が却下(6.12)片岡健吉が京都行在所に提出・国会開設・地租軽減など

第一回内国勧業博覧会(8.2111.30)内務卿大久保利通の提案・内務省主導・上野公園・臥雲辰致のガラ紡

西郷隆盛が城山で自刀(9.24)

ハートレー事件(12)

1878 紀尾井坂の変(5.14)

竹橋騒動(8.238.24)近衛兵の反乱(西南戦争への動員・手当への不満)

愛国社再興大会(大阪)(9.11)1213社が参加・立志社が中心的役割

陸軍参謀本部設置(12.5)

1879 軍隊・警察が首里城を包囲(3.27)

尚泰が首里城退去(3.29)

琉球処分・沖縄県設置(4.4)尚泰を東京に強制移住

東京招魂社を靖國神社に改称(6.4)

ヘスペリア号事件(7.15)

井上馨が外務卿就任(9.1085.12.22)

大阪で愛国社第3回大会(11.7)全国的な国会開設運動(署名集め・遊説など)の開始・豪農豪商も参加へ

1880 横浜正金銀行設立(2)特殊銀行・貿易金融と外国為替に特化・国立銀行条例に基づく

大阪で愛国社第4回大会=国会期成同盟第1回大会(3.17)

国会期成同盟発足(3.17)国会開設請願書を太政官と元老院に提出却下

集会条例(4.5)

工場払下げ概則(11.5)条件が厳しく4年後廃止

東京で国会期成同盟第2回大会(11.10)次回大会までの私擬憲法案持ち寄りの決定・政党結成の提案

自由党準備会の発足(12.15)

1881 農商務省設置(4.7)内務省から殖産興業政策を移管

朝鮮が別技軍(新式軍隊)創設(5.9)日本陸軍の指導

『東京横浜毎日新聞』『郵便報知新聞』が開拓使官有物払い下げのスクープ(7)自由民権運動の盛り上がり

大隈重信の追放決定(8.31)大隈が自由民権陣営と結託と断定

国会開設の勅諭・開拓使官有物払下げの中止発表・大隈重信の追放(明治十四年の政変)(10.12)

東京で国会期成同盟第3回大会(10.18)国会開設勅諭により私擬憲法案の審議見送り・政党樹立へ

自由党結成(10.18)党首板垣

松方正義が大蔵卿就任(10.21)松方財政

日本鉄道会社設立(11.11)岩倉具視ら華士族の出資・上野~青森間

1882 軍人勅諭(1.4)西周起草

北海道開拓使廃庁(2.8)

『時事新報』創刊(福沢諭吉)(3.1)慶應義塾門下生(明治十四年の政変で下野)の協力

立憲帝政党結成(3.13)福地源一郎ら・自由党・立憲改進党に対抗

伊藤博文が渡欧(3.1483.8.3)

岐阜事件「板垣死すとも自由は死せず」(4.6)後藤新平の診療

立憲改進党結成(4.16)党首大隈

大阪貿易会社設立(5)開業は翌年

壬午事変(7.23~)

済物浦条約(8.30)

日本銀行の開業(10.10)辰野金吾の本店設計

東京専門学校開設(10)

壬午事変の謝罪使(特命全権大使朴泳孝・書記官金玉均ら)来日(10)12月まで日本滞在

板垣退助・後藤象二郎が渡欧(11.1183.6.22)井上馨の斡旋・三井が費用負担・馬場辰猪・大石正巳ら批判者を自由党から追放

福島事件(12.1)

1883 高田事件(3.20)

鹿鳴館完成(11)

1884 宮中に制度取調局設置(伊藤博文)(3.17)立憲体制へ移行のための制度整備・85.12.22廃止 群馬事件(5.15)

清仏戦争(6.2385.6)朝鮮駐留清軍が勢力半減

華族令(7.7)制度取調局長官伊藤博文らによる・貴族院の準備

加波山事件(9.23)栃木県庁の開庁式で三島通庸ら爆殺を計画

自由党解党(大阪)(10.29)

秩父事件(10.3111.9)

飯田事件(12.3)愛知・長野で政府転覆のため挙兵計画

甲申事変(12.4)

名古屋事件(12.14)政府転覆計画資金のため強盗・殺人

大隈重信総裁・河野敏鎌副総裁が立憲改進党を脱党(大隈は後に復党)(12.17)活動休止

爆発物取締罰則公布(12.27)加波山事件の影響

1885 日本銀行券(銀貨兌換券)の発行開始(5)

日本郵船会社発足(9.29)政府の仲介・郵便汽船三菱会社と三井系国策会社の共同運輸会社が合併・競争を避ける

大阪事件(11.23)

内閣制度発足(太政官制廃止)(12.22)

第一次伊藤博文内閣(12.22)外相井上馨

1886

学校令(3.24.10)森有礼の提案・5つの勅令

甲府雨宮製糸スト(6.146.16)日本最初の工場労働者争議(女工)

静岡事件(6)政府転覆計画未遂・最後の激化事件

登記法(8.13)

星亨・中江兆民らが全国有志懇親会(東京)を開き大同団結の呼びかけ開始(10.24)大同団結運動の端緒

ノルマントン号事件(10.24)

1887 ボアソナードが条約改正反対意見書を提出(6)漏洩

農商務大臣谷干城が条約改正反対の意見書を提出(7.3)

農商務大臣谷干城が辞任(7.26)条約改正交渉の無期延期・自由民権運動を刺激

井上馨外務大臣が辞任(9.17)伊藤首相が兼任

後藤象二郎が大同団結の訴え開始(10.3)大同団結運動に発展

高知の片岡健吉が元老院に『三大事件建白』を提出(10)大同団結運動と呼応・三大事件建白運動へ(星亨・尾崎行雄らの指導)

218県の代表が建白書を提出(12.15)

保安条例公布即日施行(12.25)

1888 大隈重信が外相就任(2.1)外相秘書官兼政務課長に加藤高明

市制・町村制の公布(4.25)モッセ・内相山縣有朋

黒田清隆内閣(4.30)

枢密院設置(4.30)

伊藤博文が初代枢密院議長に就任(4.3089.10.30)

師団制(5.12)6鎮台を廃止して6個師団に改編・常設師団の始まり

高島炭鉱事件が雑誌『日本人』に掲載(6)

日墨修好通商条約(11.30)陸奥宗光・対等条約

1343県(愛媛県ら香川県が独立)(12.3)

1889 大日本帝国憲法公布(2.11)

皇室典範(2.11)憲法と同格の法規

衆議院議員選挙法(2.11)直接国税15円以上の満25歳以上男子

森有礼文相暗殺(2.11)伊勢神宮不敬事件

黒田清隆の超然主義演説(鹿鳴館)(2.12)

後藤象二郎入閣(逓信大臣)(3.22)大同団結運動の挫折

ロンドン『タイムズ』大隈の条約改正交渉内容を暴露(4.19)

民法典論争開始(592.5)フランス法学派とドイツ法学派・自由主義と国家主義の思想対立

陸羯南の新聞『日本』が大隈の条約改正交渉内容を訳出して掲載(5.31~)

東海道線(新橋~神戸間)全通(7.1)

大阪天満紡績争議(9.30)早期のストライキの代表例・94年にも

大隈重信への爆弾テロ(10.18)

全閣僚が辞表提出黒田のみ受理し内大臣三条が首相兼任(10.25)

第一次山縣有朋内閣(12.24)内務大臣兼任・外相青木周蔵

1890 旧民法の公布(410)1893.1.1施行予定

府県制・郡制(5.17)

1回衆議院議員選挙(7.1)

集会及政社法(7.25)集会条例廃止に伴い制定

立憲自由党(翌年に自由党に改名)結成(9.15)

伊藤博文が初代貴族院議長に就任(10.24)

教育勅語発布(10.30)元田永孚・井上毅ら起草

大日本帝国憲法施行(11.29)

1回帝国議会(11.29~)立憲自由党土佐派買収

1891 内村鑑三不敬事件(1.9)

第一次松方正義内閣(5.6)蔵相兼任・外相青木周蔵

大津事件(5.11)

津田三蔵に無期徒刑の判決(5.27)大審院長児島惟謙

青木外相辞任(5.29)後任は榎本武揚

シベリア鉄道の起工式(ウラジオストク)(5.31)ニコライ二世臨席

東北本線(上野~青森間)全通(日本鉄道会社)(9.1)

2回帝国議会(11.2612.25)田中正造(立憲改進党)が足尾銅山鉱毒問題を提起

樺山資紀の蛮勇演説(12.22)衆議院本会議

初の衆議院解散(12.25)

1892 2回衆議院議員選挙(2.15)内相品川弥二郎の選挙干渉

品川弥二郎辞任(3.11)

3回帝国議会(5.66.14)選挙干渉の糾弾

旧民商法延期法案可決(5)3帝国議会

国民協会結成(西郷従道・品川弥二郎ら)(6.22)

第二次伊藤博文内閣(8.8)(元勲内閣)外相陸奥宗光

4回帝国議会(11.2993.2.28)建艦詔勅

1893 建艦詔勅(2.10)

海軍軍令部設置(5.19)

富岡製糸場払下げ(三井)(9.10)

文官任用令公布(10.31)

神戸~ボンベイ航路開設(日本郵船会社)(11.7)

5回帝国議会(11.2812.30)対外硬六派(立憲改進党・国民協会など)の現行条約励行運動・日英通商航海条約締結に反対

衆議院解散(12.30)

1894 大阪天満紡績争議(1.26)早期のストライキの代表例・89年にも

甲午農民戦争(3~)

日英通商航海条約(7.16)駐英日本公使青木周蔵・領事裁判権撤廃・関税自主権一部回復・相互最恵国待遇・99.7.17発行

日清戦争(7.2595.4.17)

日本が清に宣戦布告(8.1)

1895 下関条約(料亭春帆楼)(4.17)

三国干渉(4.23)遼東半島還付金3000万両追加

乙未事変(閔妃暗殺事件)(10.8)朝鮮公使三浦梧楼

1896 朝鮮で反日義兵運動(乙未義兵)の発生(1)

高宗ロシア公館亡命(露館播遷)(2.111897.2.20)

進歩党結成(3.1)党首大隈・立憲改進党を母体・自由党に対抗

造船奨励法・航海奨励法公布(3.23)

日本勧業銀行法・農工銀行法公布(4.20)農工銀行法に基づき農工銀行(特殊銀行・農工業改良発達のための長期融資を目的・1898−1900年に全国46府県に各1行)設立

小村・ウェーバー覚書(漢城)(5.14)朝鮮問題に関する覚書・駐朝鮮公使小村寿太郎

露清密約(李鴻章-ロバノフ条約)(6.3)日本の攻撃に対する共同防衛・ロシアに東清鉄道の敷設権

山縣・ロバノフ協定(モスクワ)(6.9)朝鮮における紛争に関する議定書

日清通商航海条約(北京)(7.21)下関条約に基づく不平等条約(領事裁判権・協定関税・最恵国待遇)

第二次松方正義内閣(松隈内閣)(9.18)進歩党を与党・外相大隈

1897 職工義友会発足(高野房太郎ら)(4.6)労働組合結成を目指す団体

官営八幡製鉄所の開庁(6.1)農商務省の管轄・ドイツ人技術者

労働組合期成会(片山潜・高野房太郎ら)(7.4)職工義友会を改組・日本最初の労働機関紙『労働世界』

日本勧業銀行設立(7.12)特殊銀行・農工業への長期融資を目的

貨幣法制定(3.29)金本位制確立

朝鮮国から大韓帝国に国号変更(10.12)下関条約を背景

ドイツが膠州湾を占領(11)山東省でのカトリック宣教師殺害(曹州教案)を口実

ロシアが旅順港・大連湾を占領(12)

衆議院で内閣不信案衆議院解散松方が辞表提出(12.25)松方の地租増徴の提案を背景

1898 第三次伊藤博文内閣(1.12)

独清条約(3.6)膠州湾の99年間租借・山東省の鉄道敷設権・鉱山採掘権

5回衆議院議員総選挙(3.15)

西徳二郎外相がロシアに「満漢交換論」を提起(3.19)

旅順・大連租借に関する露清条約(パヴロフ協定)(3.27)

ロシア公使が「満漢交換」の拒絶を回答(4.2)

西・ローゼン協定(東京)(4.25)ロシアが韓国での日本の商業活動承認・山縣ロバノフ協定を書き換え

地租増徴法案が衆議院本会議で否決衆議院解散(6.10)

戊戌の変法(百日維新)(6.11)変法自強運動(1895年~)の集大成

憲政党結成(6.22)自由党+進歩党が810日の選挙に備え藩閥政府に対抗

第一次大隈重信内閣(隈板内閣)(6.30)憲政党を与党・内相板垣

6回衆議院議員総選挙(8.10)

共和演説事件(8.21)

戊戌の政変(9.21)袁世凱の密告・保守派の西太后らによる巻き返し

尾崎行雄が文部大臣辞任(10.24)後任に進歩派犬養毅を大隈が独断で奏薦対立

自由派のみで憲政党解党を決議(星亨が中心に)(10.29)自由派のみの憲政党発足を内務省に届け出(内相は板垣退助)

旧進歩党が憲政本党結成(11.3)

第二次山縣有朋内閣(11.8)地租増徴のため憲政党と連携

地租条例改正公布(2.5%3.3%)(12.30)18994月から5年間限定

1899 文官任用令改正(3.28)政党の影響を排除

文官分限令(3.28)

『日本之下層社会』(横山源之助)(4)

台湾銀行設立(6)特殊銀行・台湾の中央銀行・台湾銀行券発行

ドイツが膠済鉄道の建設着工(9.23)

義和団事件

1900 北海道拓殖銀行設立(2.16)特殊銀行・北海道開拓を目的・道内産業に長期融資・日本勧業銀行と日本興業銀行および農工銀行に代わる役割

治安警察法(3.10)集会及政社法の廃止に伴い制定

衆議院議員選挙法改正(1510円)(3.29)

軍部大臣現役武官制(5.19)

列強が義和団事件に軍事介入のため連合軍2000名派兵(6)

義和団20万人が北京に入城(6.10)列強の公使館区域を包囲

北清事変(6.21)清が8カ国に宣戦布告

イギリスが日本に出兵要請(6.237.14)ロシアの満州への大軍派兵に伴う権益拡大を警戒・財政援助の申し出

日本が大量派兵を決定(7.6)

連合軍が北京に向けて進軍開始(8.4)

8カ国連合軍が北京攻略開始(8.14)

北京占領(8.15)連合軍による略奪など相次ぐ

幸徳秋水「自由党を祭る文」『萬朝報』掲載(8.30)

立憲政友会結成(9.15)伊藤系官僚(原敬ら)+旧自由党(憲政党)員

第四次伊藤博文内閣(立憲政友会を与党)(10.19)山縣有朋の揺さぶりで政権押し付け成立

1901 官営八幡製鉄所の操業開始(2.5)大冶鉄山+筑豊炭田

膠済鉄道の膠州~済南間が開通(4.8)全線開通は19046

社会民主党結成(5.18)(片山潜・安部磯雄・幸徳秋水・木下尚江・西川光二郎・川上清)初の社会主義政党・幸徳秋水以外はキリスト教徒

第一次桂太郎内閣(6.2)

北京議定書(辛丑和約)(9.7)賠償金45000万両・年利4%39年分割払い・列強の駐兵権

田中正造が天皇に直訴(12.10)

1902 第一次日英同盟協約(ロンドン)(1.30)防守同盟・ロシアの極東進出に対抗

日本興業銀行設立(3)特殊銀行・基幹産業(重化学工業)への長期融資を目的

教科書疑獄事件(12.7~)

1903 『職工事情』全5巻(農商務省)(3)各工業部門の労働状況に関する調査報告書

国定教科書制度(4)小学校用教科書の国定化

七博士建白事件(6.10)

平民社結成(幸徳秋水・堺利彦)(10.27)週刊『平民新聞』発行を目的

閣議で対露開戦時に清国の中立・韓国を支配下に置くことを決定(12.30)

1904

韓国が日露開戦時の中立を宣言(1.21)

日露戦争(2.61905.9.5)

旅順・仁川奇襲(2.8)

日本が宣戦布告(2.10)

大本営を宮中に設置(2.11)

清国が日露戦争での局外中立を宣言(2.12)

閣議でロンドン市場で英ポンド建外債募集方針を決定(2.17)

日韓議定書(2.23)漢城を占領して締結を強制・韓国国内での日本軍の行動の自由など

高橋是清日銀副総裁を欧米に派遣(2.24)ニューヨークのちイギリスで交渉

旅順攻囲戦(8.191905.1.1)

第一次日韓協約(8.22)

与謝野晶子が雑誌『明星』に『君死に給ふこと勿れ』発表(9)

1905 血の日曜日事件(1.22)

奉天会戦(2.213.10)

日本海海戦(5.275.28)

桂・タフト協定(7.29)日本の韓国・アメリカのフィリピン権益承認

第二次日英同盟協約(ロンドン)(8.12)攻守同盟

桂太郎・原敬の会談(8.14)講和条約と政権交代についての方針

ポーツマス条約(9.5)

日比谷焼打事件(9.5)条約調印直前・戒厳令

第二次日韓協約(日韓保護条約)(11.17)

韓国統監府設置(12.21)初代統監伊藤博文

1906 第一次西園寺公望内閣(1.7)内相原敬

日本社会党結成(堺利彦・片山潜ら)(2.24)初の合法的社会主義政党

鉄道国有法(3.31)

南満州鉄道株式会社設立(11.26)

1907 樺太庁設置(4.1)林業・パルプ工業

帝国国防方針制定(4.4)戦時50師団・八八艦隊など

ハーグ密使事件(6.1510.18)2回バンコク平和会議

第三次日韓協約(7.24)ハーグ密使事件を受けて

第一次日露協約(7.30)

1908 赤旗事件(錦輝館事件)(6.22)

第二次桂太郎内閣(7.14)

戊辰詔書(10.13)

東洋拓殖会社設立(12.18)

1909 伊藤博文暗殺(ハルビン駅)(10.26)

韓国銀行設立(10)日本の第一銀行から中央銀行業務を移管

1910 大逆事件(5.25~)大逆罪の適用・追訴された事件の総称

韓国併合条約(8.22)

朝鮮総督府設置(9.30)韓国統監府を改組・初代総督は第3代統監寺内正毅が引き継ぎ・韓国統監府庁舎を引き続き使用

1911 幸徳秋水・管野スガら12名死刑(1.241.25)

改正日米通商航海条約(2.11)関税自主権の完全回復・7.17発行

工場法公布(3.29)施行は1916

朝鮮銀行設立(8)韓国銀行を改組改称・朝鮮の中央銀行・朝鮮銀行券発行

特別高等警察設置(8.21)大逆事件を受けて警視庁に特別高等課設置・1928年全国に設置・内務省警保局保安課の直接指揮

第二次西園寺公望内閣(8.30)内相原敬

辛亥革命(10.101912.2.12)

1912 孫文が南京で中華民国建国宣言臨時大総統に就任(1.1)

宣統帝溥儀退位清朝滅亡(2.12)

袁世凱が大総統に就任(2.15)

11回衆議院議員総選挙(5.15)

明治天皇崩御(7.30)

大正天皇(7.30)

乃木希典殉死(9.13)

友愛会結成(鈴木文治ら)(8.1)機関紙『友愛』

桂太郎が内大臣兼侍従長に就任(8.13)桂の台頭を恐れた元老山縣の策動

二個師団増設問題(11.22)

陸軍大臣上原勇作が帷幄上奏し辞任(12.2)

第三次桂太郎内閣(12.21)

30回帝国議会(12.271913.3.26)第一次護憲運動

1913 立憲政友会・立憲国民党が内閣不信任案・尾崎行雄の弾劾演説桂内閣が5日間の議会停止命令(2.5)民衆デモ

民衆デモが議会を包囲(2.10)

内閣総辞職(大正政変)(2.11)

第一次山本権兵衛内閣(2.20)内相原敬

軍部大臣現役武官制改正(6.13)第一次護憲運動を受けて

文官任用令改正(8.1)第一次護憲運動を背景・政党への配慮

桂太郎没(10.10)

立憲同志会結成(12.23)総裁加藤高明

31回帝国議会(12.261914.3.25)シーメンス事件












明治天皇崩御(7.30)

大正天皇(7.30)

1912 友愛会(鈴木文治ら)(8.1)

1914 シーメンス事件(1.23~)

第二次大隈重信内閣(4.16)

第一次世界大戦勃発(7.26)

対独宣戦布告(8.23)

1915 対華二十一ヶ条の要求(1.18)袁世凱が第5号のみ拒否し受諾(5.9)

第12回総選挙(3.25)

二個師団増設(6.21)

1916 『中央公論』に論文「憲政の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず」を発表(1)

工場法施行(9.1)

河上肇『貧乏物語』大阪朝日新聞連載(9.1112.26)

寺内正毅内閣(10.9)

憲政会(立憲同志会+中正会尾崎行雄ら)結成(10.10)

1917 西原借款(段祺瑞に1億4500万円)(7.20)

金輸出禁止(9.20)

石井ランシング協定(11.2)

ソビエト政権樹立(ロシア革命)(11.7)

1918 ウィルソンが連邦議会で十四か条の平和原則発表(1.8)

ブレスト=リトフスク条約(3.3)

鞍山製鉄所設立(5)

シベリア出兵(8.2)

米騒動(8.3)

原敬内閣(9.29)

朝鮮殖産銀行設立(10)朝鮮各地に分立していた農工銀行6行41支店を合併

大学令(12.6)

新人会結成(12.7)

黎明会(吉野作造・新渡戸稲造・森戸辰男ら)(12.23)

1919 パリ講和会議(1.18)

三・一独立運動(3.1)

五・四運動(5.4)

衆議院議員法改正(直接国税3円以上・小選挙区制)(5.23)

ヴェルサイユ条約調印(6.28)

ワイマール憲法制定(8.11)

友愛会大日本労働総同盟友愛会(8.30)

中国国民党結党(10.10)

東京大学経済学部の学術機関誌『経済学研究』創刊号に論文『クロポトキンの社会思想の研究』発表(12)

1920 国際連盟成立(1.10)

森戸事件(1)←上杉慎吉らの攻撃

八幡製鉄所争議(2.53.2)

普選大示威運動(2.11)

ニコライエフスク事件(3.12)

戦後恐慌発生(3)

新婦人協会(平塚らいてう・市川房枝ら)(3.28)

第一回メーデー(大日本労働総同盟友愛会主催・鈴木文治司会)(5.2)

14回総選挙政友会圧勝(5.10)

日本社会主義同盟(山川均)(8)

1921 赤瀾会(山川菊栄・伊藤野枝ら)(4.21)

三菱・川崎造船所争議(6.258.9)

原敬刺殺(11.4)

ワシントン会議(11.1222.2.9)

高橋是清内閣(11.13)

四カ国条約(12.13)日英同盟廃棄

大日本労働総同盟友愛会日本労働総同盟

1922 山東懸案解決に関する条約(2.4)

九カ国条約(2.6)石井ランシング協定破棄

ワシントン海軍軍縮条約(2.6)

全国水平社結成(3.3)

日本農民組合結成(杉山元治郎・賀川豊彦ら)(4.9)

治安警察法第5条改正(4.20)→女子の政談集会参加と発起を許可

加藤友三郎内閣(政友会与党・中間内閣)(6.12)

シベリア撤兵決定(6.24)

日本共産党結成(堺利彦・山川均ら)(7.15)

第一次軍備整理(山梨軍縮)(8)

革新倶楽部結成(11.8)

1923 第二次軍備整理(山梨軍縮)(4)

加藤友三郎病死(8.24)

関東大震災(9.1)

第二次山本権兵衛内閣(9.2)

亀戸事件(9.4)

王希天が軍隊により虐殺(9.12)

甘粕事件(9.16)

震災手形割引損失補償令(9.27)

虎ノ門事件(12.27)

1924 清浦奎吾内閣(特権内閣)(1.7)

床次竹治郎ら149名が政友会離党(1.16)←政友会に残ったのは129名

護憲三派(憲政会=加藤高明・立憲政友会=高橋是清・革新倶楽部=犬養毅)結成(1.18)←三浦梧楼の斡旋

第一次国共合作(1.20)

政友本党結成→清浦内閣の与党(1.29)

15回総選挙護憲三派圧勝(5.10)

第一次加藤高明内閣(護憲三派)(6.11)←幣原外相

婦人参政権獲得期成同盟会(12)

1925 日ソ基本条約(1.20)

ラジオ放送開始(3.1)

治安維持法(3.19)

普通選挙法(3.29)

第三次軍備整理(宇垣軍縮)(5)

五・三〇事件(在華紡で中国人労働者が暴動)(5.30)

『女工哀史』(細井和喜蔵)(7)

第二次加藤高明内閣(憲政会単独)(8.2)←幣原外相

小樽高商事件(10.15)

農民労働党結成共産党との繋がりで治安警察法により即日解散(12.1)

京都学連事件(12.14)

1926 共同印刷争議(1.19)

加藤高明病死(1.26)

第一次若槻礼次郎内閣(1.30)←幣原外相

労働農民党(杉山元治郎ら)結成(3.5)

蒋介石が北伐開始(7.9)

大正天皇崩御(12.25)

昭和天皇←25歳(12.25)

1927 片岡直温蔵相の失言金融恐慌へ(3.14)

南京事件(3.24)

台湾銀行が鈴木商店への貸し出し中止(3.26)

鈴木商店が新規取引の中止(4.5)

上海クーデター(4.12)

台湾銀行救済緊急勅令案を枢密院が否決若槻内閣総辞職(4.17)

田中義一内閣(4.20)

支払猶予令3週間(4.22)

日銀特融(4.25)

日銀総裁に井上準之助(5.10)

第一次山東出兵(5.28)

立憲民政党(憲政会+政友本党)結成(6.1)

ジュネーブ海軍軍縮会議(米英日・補助艦の制限)決裂(6.208.4)

東方会議(6.27)

27年テーゼ(12.1)

国共合作の解消南京国民政府(蒋介石政権)樹立(12.13)

1928 第一回普通選挙(2.20)無産政党8名当選

三・一五事件(共産党員の一斉大量検挙)(3.15)

北伐再開(4.7)

第二次山東出兵(5.3)

済南事件(5.3)

第三次山東出兵(5.8)

張作霖爆殺事件(6.4)

北伐軍が北京占領=北伐完了(6.6)

治安維持法改定(緊急勅令)(6.29)

特別高等警察を全国に設置(7.3)

張学良が青天白日旗の掲揚を決定(7.22)

パリ不戦条約(8.27)

張学良が国民政府に合流(12.29)

1929 四・一六事件(佐野学・鍋山貞親ら共産党幹部全員逮捕)(4.16)

浜口雄幸内閣(7.2)←幣原外相

アメリカで暗黒の木曜日(10.24)

1930 金輸出解禁(1.11)

ロンドン海軍軍縮条約(4.22)

統帥権干犯問題(4.30)

浜口雄幸が東京駅で狙撃(11.14)

蒋介石軍(10万人)が第一次掃共作戦(12.27)失敗

1931 松岡洋右の「満蒙生命線演説」で幣原外交批判(1.23)

三月事件(3)

重要産業統制法(4.1)

第二次若槻礼次郎内閣(4.14)←幣原外相

蒋介石軍(20万人)が第二次掃共作戦(5.165.30)

中村震太郎大尉事件(6.27)

万宝山事件(7.27.5)

蒋介石軍(30万人)が第三次掃共作戦(78)失敗

浜口雄幸死亡(8.26)

柳条湖事件(9.18)

満州事変不拡大声明(9.24+10.26)

財閥のドル買い開始(9.21)

十月事件(10.17)

犬養毅内閣(12.13)

金輸出再禁止(12.13)

1932 蒋介石・汪兆銘により新国民政府樹立(1.1)

上海事変(1.28)

血盟団事件(23)

リットン調査団(2.29)

満州国建国(3.1)

五・一五事件(5.15)

斎藤実内閣(挙国一致内閣)(5.26)

日本国家社会党結成(赤松克麿)(5.29)

32年テーゼ(7.10)

社会大衆党結成(安部磯雄・麻生久ら)(7.24)後に全体主義化・大政翼賛会合流

農山漁村経済更生運動の開始(9.5)

日満議定書(9.15)

リットン調査団報告書(日本の行動を侵略と報告)(10.1)

1933 熱河作戦開始(2)

小林多喜二拷問死(2.20)

対日勧告案松岡洋右が報告書反対の声明後に退場(2.24)

フランクリン=ルーズベルトが大統領就任(3.4)

国際連盟脱退の詔書(3.27)

滝川事件(4.22)

塘沽停戦協定(5.31)

佐野学・鍋山貞親が獄中で転向声明(6.7)

ドイツが国際連盟から脱退を声明(10.14)

1934 日本製鉄発足(1)官営製鉄所+民間5

野呂栄太郎獄死(2.19)

溥儀が皇帝に即位→帝政(3.1)

帝人事件(4.18)

岡田啓介内閣(7.8)

陸軍パンフレット事件(10.1)

中国共産党が長征(大西遷)開始(瑞金延安)(34.1036.10)

士官学校事件(十一月事件)(11.20)

ワシントン海軍軍縮条約破棄(12.29)

1935 民政党・斎藤隆夫代議士が軍の政治関与を批判(1.24)

天皇機関説問題(2.19)

国際連盟脱退(3.27)

美濃部達吉が不敬罪で告発(4.9)

梅津・何応欽協定(6.10)

土肥原・秦徳純協定(6.23)

国体明徴声明(8.3+10.15)

相沢事件(8.12)

冀東防共自治政府(11.25)

第二次ロンドン海軍軍縮会議(12.9~)日本は会議を脱退(36.1.15)

冀察政務委員会(12.18)

1936 二・二六事件(2.26)

東京市に戒厳令(2.27)

広田弘毅内閣(3.9)

粛軍演説(立憲民政党・斉藤隆夫)(5.7)

軍部大臣現役武官制(5.18)

「国策の基準」の決定(五相会議)(8.7)

日独防共協定(11.25)

西安事件(12.12)

ワシントン・ロンドン海軍軍縮条約の失効

1937 腹切り問答(政友会・浜田国松)(1.21)

宇垣一成流産内閣(1.25)

林銑十郎内閣(2.2)

『国体の本義』文部省が発行(5.31)

第一次近衛文麿内閣(6.4)

盧溝橋事件(7.7)

日本が「北支事変」と呼称し派兵決定(7.11)

蒋介石と周恩来が抗日民族統一戦線の結成合意(7.17)

第二次上海事変(8.1311.12)「支那事変」へ改称

国民精神総動員運動『挙国一致・尽忠報国・堅忍持久』(8.24)

矢内原事件(912)

第二次国共合作(9.23)

企画院設置(10.25)

日独伊防共協定(11.6)

ドイツ中華大使トラウトマン和平工作開始(11.15)失敗

イタリアが国際連盟脱退(12.11)

南京占領(12.13)蒋介石は重慶へ

第一次人民戦線事件(12.15)

1938 第一次近衛声明(1.16)

第二次人民戦線事件(2.1)

国家総動員法(4.1)

農地調整法(4.2)

電力国家管理法(4.6)

張鼓峰事件(7.11)

産業報国連盟(8.30)

河合栄治郎事件(10.15)

第二次近衛声明(11.3)

第三次近衛声明(12.22)汪兆銘が重慶脱出

1939 平沼騏一郎内閣(1.5)

軍用資源秘密保持法の公布(3.25)

賃金統制令(3.31)

米穀配給統制法の公布(4.12)

ノモンハン事件(5.129.15)

国民徴用令(7.8)

アメリカが日米通商航海条約破棄通告(7.26)

独ソ不可侵条約(8.23)

阿部信行内閣(8.30)

ドイツ軍がポーランド侵攻第二次世界大戦勃発(9.1)

欧州戦争不介入方針(9.4)

価格等統制令(10.18)

日米新条約交渉失敗(12.22)

1940 米内光政内閣(1.16)

反軍演説(立憲民政党・斎藤隆夫)(2.2)衆議院が除名(3.7)

津田左右吉処分(2.10)

南京政府(汪兆銘)樹立(3.30)

生活必需物資統制令の公布(4.1)

切符制導入(4.24)米・みそ・醤油・塩・マッチ・木炭・砂糖など

ドイツ軍がパリに無血入場パリ陥落(6.1)

新体制運動開始(6.24)

第二次近衛文麿内閣(7.22)

『基本国策要綱』決定(7.26)

北部仏印進駐(9.22)

日独伊三国同盟(9.27)

大政翼賛会(10.12)

大日本産業報国会(11.23)←日本労働総同盟などを戦時体制に統合

1941 小学校国民学校(4.1)

日ソ中立条約(4.13)

日米交渉開始(野村吉三郎駐米大使・ハル国務長官)(4.16)

ハル4原則提示(4.16)

独ソ戦争(6.22)

南部仏印進駐決定(6.25)

関東軍特種演習(7.28)

第三次近衛文麿内閣(7.18)←松岡外相の更迭

日本の在米資産凍結(7.25)

南部仏印進駐(7.28)

対日石油輸出禁止(8.1)

大西洋憲章(8.12)

御前会議『帝国国策遂行要領』(9.6+11.5)

東条英機内閣(10.18)

ハル=ノート(11.26)

御前会議で対米英蘭開戦決定(12.1)

アジア・太平洋戦争突入(12.8)

真珠湾攻撃(12.8)

蒋介石政権が日本に宣戦布告正式に日中戦争突入(12.9)

マレー沖海戦(12.10)

1942 翼賛選挙(13)

バターン死の行進(5.7)

ミッドウェー海戦(6.5)

ガダルカナル陸戦(843.2)

1943 イタリアが無条件降伏(9.8)

大東亜会議(11.5)

カイロ会談(11.22)

学徒出陣(12)

1944 マリアナ沖海戦(6.19)

サイパン島陥落(7.7)

小磯国昭内閣(7.22)

レイテ沖海戦(10.24)

本土空襲開始(11.24)

1945 ヤルタ会談(2.42.11)

ヤルタ協定(2.4)

近衛文麿が戦争終結を上奏(2.14)

東京大空襲(3.93.10)

硫黄島全滅(3.17)

米軍が沖縄本島に上陸(4.1)

日ソ中立条約不延長通告(4.5)

鈴木貫太郎内閣(4.7)

ドイツが無条件降伏(5.7)

沖縄守備隊全滅(6.23)

アメリカが原爆実験に成功(7.16)

ポツダム会談(7.178.2)

ポツダム宣言発表(7.26)

日本政府『ポツダム宣言』黙殺を発表(7.28)

広島に原爆投下(8.6)

ソ連が対日参戦(8.8)

長崎に原爆投下(8.9)

ポツダム宣言受諾を決定(8.14)

玉音放送(8.15)