大阪紡績会社

綿製品輸入防遏を企図する渋沢栄一らの構想をもとに、旧公卿、藩主などの華族を中心に、政商、綿関係商人などの純民間資本(資本金25万円)で設立された日本最初の蒸気力紡績会社。政府の助成をうけて発足した各地の2000錘紡績がいずれも不振を極めていた中で設立。

設立当初から1万500錘を備え、労働者300人弱という当時最大の規模で開業。イギリス帰りの技術者山辺丈夫を工務支配人とし、イギリスの技術を導入。大規模設備と電灯を整備しての昼夜二交替制操業により急速に発展、高利益をあげ、関西紡績業発達の基礎となる。

これに刺激されて、1886〜89年に鐘淵紡績、三重紡績、尼崎紡績、摂津紡績など、東京、大阪周辺でつぎつぎと大紡績工場が設立される紡績ブームを呼び起こしたが、こうした後発の大規模企業の追い上げに苦労した。1914年に三重紡績に吸収される形で合併、東洋紡績会社となった。大紡績は、当時輸入綿糸の中心であったインド綿糸および在来手紡糸、ガラ紡糸との国内市場での競争に打ち勝って急速に発展した。

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