乃木希典の殉死
殉死直後から日本国内の新聞の多くは乃木の殉死を肯定的に捉え、好意的に受け止める空気が一般的であった。乃木の訃報が新聞で報道されると、多くの日本国民が悲しみ号外を手にして道端で涙にむせぶ者もあったという。日本国内にとどまらず、欧米の新聞においても多数報道された。
乃木の武士道的精神を評価する見方として、新渡戸稲造は「日本道徳の積極的表現」、三宅雪嶺は「権威ある死」と論じ、徳冨蘆花や京都帝国大学教授・西田幾多郎は、乃木の自刃に感動を覚え、武士道の賛美者でも社会思潮において乃木の賛同者でもないことを明言していた評論家の内田魯庵も、乃木の自刃に直感的な感動を覚えたと述べている。
一方で、殉死は封建制の遺習であり、時代遅れの行為であると論ずる見方もあった。東京朝日新聞、信濃毎日新聞などが乃木の自刃に対して否定的・批判的な見解を示した。また時事新報は学習院院長などの重責を顧みず自刃した乃木の行為は武士道の精神に適うものではなく、感情に偏って国家に尽くすことを軽視したものであると主張し、加えて、もし自殺するのであれば日露戦争の凱旋時にすべきであったと述べた。乃木の殉死を否定的に論じた新聞は、不買運動や脅迫に晒された。例えば時事新報は、投石や脅迫を受け、読者数が激減した。
また乃木の教育方針に批判的だった白樺派の志賀直哉や芥川龍之介など一部の新世代の若者たちは、乃木の死を「前近代的行為」として冷笑的で批判的な態度をとった。白樺派は生前の乃木を批判していたが、乃木の自刃についても厳しく批判した。特に武者小路実篤は、乃木の自刃は「人類的」でなく、「西洋人の本来の生命を呼び覚ます可能性」がない行為であり、これを賛美することは「不健全な理性」がなければ不可能であると述べた。
社会主義者も乃木の自刃を批判した。例えば、荒畑寒村は、乃木を「偏狭な、頑迷な、旧思想で頭の固まった一介の老武弁に過ぎない」と評した上で、乃木の行為を賛美する主張は「癲狂院の患者の囈語」(精神病患者のたわごと)に過ぎないと批判した。
乃木の死を題材にした文学作品も多く発表されている。例えば、櫻井忠温の『将軍乃木』『大乃木』、夏目漱石『こころ』、森鴎外『興津弥五右衛門の遺書』『阿部一族』、司馬遼太郎の『殉死』、芥川龍之介の『将軍』、渡辺淳一の『静寂の声』などである。この中で大正時代に刊行された芥川の『将軍』は乃木を皮肉った作品で、大正デモクラシー潮流を推進するものであった。
乃木夫妻の葬儀は、大喪の礼から5日後の大正元年(1912年)9月18日に行われた。葬儀の当日、乃木夫妻の自宅から青山葬儀場までの沿道は推定20万人とも言われる膨大な数の一般国民で埋め尽くされた。その様子は「権威の命令なくして行われたる国民葬」「人民として空前の盛儀」と表現され、また外国人も多数参列したことから「世界葬」とも表現された。
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