西・ローゼン協定
1898年4月25日、東京において日本の外相西徳二郎と駐日ロシア公使ロマン・ロマノヴィッチ・ローゼン男爵の間で調印された、韓国の支配をめぐる日露間の議定書。清戦争における日本の勝利と、韓国国内政治への影響力の増大による、朝鮮半島への主導権に関する日露間の緊張の増大が背景。
1.両国は韓国の独立を認め、直接的な内政干渉を差し控えること
2.韓国政府の依頼で軍事または財政顧問を送る前に、互いに事前承認を求めること
3.ロシアは韓国における日本の商工業の発展を認め、商用ならびに経済発展への日本の投資を妨害しないこと
が合意された。
ロシアは日本がロシアの旅順港租借に抗議することを予期し、日本の関心を韓国にひきつけておきたいという意図があった。この協定によりロシアは朝鮮半島での商工業などにおける日本の経済的地位の優越を認めたが、この協定成立と引替えに、日本はロシアの旅順・大連占領を黙認した。ただし、この協定の後も日露間の対立は続いた。
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