日本社会党

1906年2月に片山潜、堺利彦、西川光二郎らによって結成された日本最初の合法的無産政党。1906年1月14日に西川光二郎らが普通選挙の期成を目的に掲げて結党した日本平民党を、同28日に堺利彦らが日本社会党を、それぞれ届け出、前月1月7日に発足しリベラルと言われていた第一次西園寺内閣はこれを受理しそれぞれ許可された。両党は合同して2月24日に日本社会党第1回大会を開いて正式に発足。党員約200人。

機関紙として『光』(結党前から存在)、『平民新聞』、また幸徳秋水が1907年1月15日に創刊した『日刊平民新聞』を発行したほか、普選運動や足尾鉱毒事件などをに積極的な役割を果たした。闘争方針をめぐり片山潜、田添鉄二らの議会政策派と幸徳秋水らの直接行動派が対立。1907年2月17日の第2回大会で両者は激突したほか、同大会で党則第1条を「社会主義の実行を目的とす」に改正。これに対し政府内部では山縣有朋らの取締強化の要求に抗することができなくなり、翌年07年2月22日、治安警察法の適用によって結社を禁止され解散。

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