膠州湾

膠州湾付近の地図

中国山東半島南西部、黄海に面する湾で天然の良港であった。海港として古くから開発され、1898年、列強が中国分割を行った際、山東省でドイツの宣教師が殺害された(曹州教案)のを口実に、ドイツがこれを99ヵ年の期限つきで租借して青島市街と港湾を建設、東洋艦隊の根拠地とした。また、そこから済南に至る膠済鉄道(1899年着工・1904年全開通)を建設した。

1914年勃発の第1次大戦に際し日本が占領し、日本資本が進出した。さらに1915年、二十一カ条要求を中国政府に突きつけ、山東省のドイツ権益の継承を強要した。1919年パリ講和会議では膠州湾租借地はドイツから中華民国に直接返還されるべきとする中華民国側の主張は退けられ、日本に譲渡されることになり、五・四運動など激しい反対運動が起こった。

日本の中国大陸進出は、次第にアメリカの警戒するところとなり、1922年ワシントン会議の結果、九カ国条約により中国に返還されたが、日本資本による工場が多く,多数の日本人も居住していた。

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