工場払下げ概則

1870年代以降の殖産興業政策が展開される過程で、政府は財政節減と民間産業育成のため、それまで官営であった鉱山や工場を民間に払い下げる方針を決定した。しかし、営業資本の即時納入を前提とするなど、その条件が厳しく払受け希望者がきわめて少なかった。そのため4年後に廃止され、以後、官営事業民間払下げは個別の事例ごとに承認される形をとった。

政府と密接な関係を持つ政商を中心に安い価格で払い下げられ、軍事・造幣・鉄道・通信を除いた多くの官営工場が整理された。このことは後の財閥形成を促し、日本の産業の中心を担う分野の育成に大きな役割を果たしたが、一方で政界と財界との癒着という問題も引き起こした(北海道開拓使官有物払下げ事件など)。

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