乙未事変

李氏朝鮮の第26代国王・高宗の王妃であった閔妃が1895年10月8日、日本公使三浦梧楼らの計画に基づいて王宮に乱入した日本軍守備隊、領事館警察官、日本人壮士(大陸浪人)、朝鮮親衛隊、朝鮮訓練隊、朝鮮警務使らに暗殺された事件。三浦梧楼らの主導による、親露派の閔妃を排除するためのクーデター。

日清戦争後、日本は軍事力を背景に朝鮮半島の支配を強化して経済的利益を独占しようとしたが、朝鮮政府内でも、これに抵抗し、三国干渉などで公然と日本に対立してきたロシアと結んで、日本の侵略を阻止しようとする動きが表面化してきた。

日本側は大院君に接近し、これに対して閔妃は、日本人の影響下にあった訓練隊を解散しロシアの教官による侍衛隊に置き換えようとしたので日本公使館は危機感をもった。

そこで事態を一挙に打開しようと、三浦公使は大院君をかつぎ出し、日本の守備隊を中心に日本人の大陸浪人を手先にして朝鮮王宮に乱入、閔妃を殺し石油をかけて焼捨て親露派を一掃した。しかし、かえって朝鮮人の民族闘争を激化させ、国際的な非難を浴びた。日本は関係者を召還し、広島で裁判にかけたが、全員証拠不十分のため無罪として釈放した。また朝鮮国内では日本の侵略に反対する義兵闘争が始まった。

事件の背景には、興宣大院君と閔妃の権力闘争(大院君が閔氏一族によって摂政の座を追われた1873年の最初の失脚以来、20年以上にわたって凄惨な権力闘争を繰りひろげていた)、改革派(開化派)と守旧派(事大党)の路線闘争、さらに朝鮮半島をめぐる日本の安全保障問題、日本と清の覇権争い、日清戦争後の日本とロシア帝国の覇権争いがあった。

閔妃暗殺事件は結局日本に有利な状況を作り出すことはできず、その後、ロシアはさらに朝鮮への影響力を強め、日本との対立が深刻化して日露戦争へと向かっていった。

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