戊辰詔書

この年の干支が戊辰だったのでこの名がある。日露戦争後の社会的混乱の渦中にあって、個人主義・社会主義の盛行や華美を戒め、勤倹をすすめ、天皇制国家における国民道徳の方向を示したもの。教育勅語とともに明治期渙発された国民教化の二大詔勅。内相平田東助の要請によるものとされる。

日露戦争の結果、日本は帝国主義国として列強と並ぶ国際的地位を得た一方で、暴動の続発など地方社会の荒廃、疲弊が表面化し、また社会主義、個人主義の浸透などによる思想悪化が問題化したため、こうした状態に対処しようとしたもの。戦勝の余韻にひたり華美に流れる風潮が戒められ、国家の政策に従い国民が共同一致、勤倹力行して国富の増強に邁進すべきことが強調されるなど、国民精神教化を目的とする。

内務省などによって行われた地方改良運動のなかで、戦後の国民のとるべき道を示すものとして重視され、渙発後、各地の役場、小学校などで捧読(ほうどく)会が開かれたほか、学校教育でも教育勅語と並ぶものとされ、国民に大きな影響を与えた。

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