山縣・ロバノフ協定

1896年6月9日にモスクワにおいて結ばれた、朝鮮における紛争に関する日本とロシアの議定書。ニコライ2世のロシア皇帝戴冠式に参列するため、特派大使として訪露していた日本の山縣有朋元首相と、ロシア外務大臣ロバノフとの間で交わされた。公開4条項と秘密2条項から成る。モスクワ議定書とも呼ばれる。

朝鮮の独立を保証すること、両国政府は必要な場合に合意をもって朝鮮に経済援助を与え財政改革を促進すること、軍隊・警察組織の朝鮮への一任、電信線を維持すること(日本は現に占領する釜山~京城間の電信線を管理し、ロシアは京城~国境間の電信線を架設する権利を留保する)、秘密条項として、両国が合意をもって軍隊を派遣するときは用兵地域を確定すること、両国の駐屯兵員数、護衛用部隊創設までの国王のロシア公使館滞在の承認などが協定された。

これは同年5月14日の小村・ウェーバー協定を基礎にしたもので、日本が朝鮮問題に関してロシアと協調せざるをえなかったことを示している。この協定は、1898年の西・ローゼン協定によって替えられた。また、ロバノフはこの協定とほぼ同時に、清国の李鴻章、朝鮮の朴泳煥とそれぞれ密約を結んでいた。

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