露館播遷
高宗がロシア公使館に移り朝鮮王朝の執政をとったこと。 国としての自主性を放棄するのに等しい行為であり、後に日露戦争時に中立を宣言したが日露両国から無視される結果となった。
1895年10月の乙未事変の発生後、朝鮮の金弘集内閣は日本の圧力を受け、事件の解明を行おうとしなかった。また12月に断髪令(近代化政策の一環・日本の真似だという反日感情への結びつき)が出されたことが直接のきっかけとなり、1896年1月、最初の反日武装闘争である義兵闘争が起きた(乙未義兵)。
日本兵を含む政府軍が義兵鎮圧に向かい、首都の防備が手薄になったすきに、高宗をひそかにロシア公使館に移し、金弘集政権を倒して親露派政権を樹立した(2月)。
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