プロ野球「正力松太郎賞」の正力とはどのような人物だったのか
今年、2021年の正力松太郎賞の特別賞にエンゼルス・大谷翔平選手が選ばれました。正力松太郎賞とは、「プロ野球の発展に大きく貢献した人物を対象として贈られる賞」というのが名目で、読売新聞は”日本球界最高の賞”などと喧伝していますが、実質的にはその年の日本シリーズで優勝したチームの監督が受賞者となることが通例です。
本年も例に漏れず、日本シリーズでオリックスを下し日本一になったヤクルト・高津監督に贈られました。加えて、これとは別に特別賞としてアメリカメジャーリーグでの活躍を受けて大谷選手が受賞したとのことです。
特別賞は年間262安打というメジャーリーグ新記録を作った2004年のイチロー選手、日本プロ野球界で24勝0敗という空前の大記録を作った2013年の田中将大投手以来だそうで、今季の大谷選手の二刀流での歴史的な活躍を見れば受賞は当然と言っても言いすぎではないでしょう。
改めて、大谷選手おめでとうございます。一プロ野球ファンとして、来季以降もますますの活躍を期待したいと思います。
さて、そんな「正力松太郎賞」ですが、日本プロ野球の発展に大きく貢献した正力松太郎という人物の業績をたたえ名を冠したもので、今から44年前に読売新聞社が中心となって創設されました。賞になっているくらいだから正力松太郎さんというのはさぞかし立派な人物だったのだろうと、多くの人が考えることでしょう。ですが、果たして本当にそうなのでしょうか。
■内務官僚として
東京帝国大学法科大学を卒業後、内務省に入省した正力は、警視庁官房主事として1923年6月の日本共産党に対する大規模な一斉取締り(第1次)や、特別高等警察などに関わっています。
また同年9月に発生した関東大震災に際して、社会主義者の扇動による暴動に備えるための警戒・取締りを指揮し、これに関連して亀戸事件・甘粕事件といった社会主義者・無政府主義者の虐殺事件の発生を招きました。
さらに「朝鮮人が暴動を起こしたり井戸に毒を投げ込んでいる」という流言飛語を新聞記者を通じて流布させ、日本の近代史における大きな汚点のひとつである朝鮮人虐殺事件発生の引き金を引いた張本人とされています。
この直後に警務部長となっていますが、その後、1924年1月の虎ノ門事件を受けて、未然にこれを防げなかった責任を問われ懲戒免官となっています。
■読売新聞の経営権を買収、実業家へ
官界を去って間もなく、後藤新平の助力で破産寸前の読売新聞を買い受けた正力は第7代社長に就任。発行部数を大幅にのばし朝日新聞・毎日新聞を抜いて東日本最大の新聞へと成長させます。
その後、1936年には現在の東京読売巨人軍の前身である東京巨人軍を創設し初代オーナーとなります(戦後1947年に読売新聞社が経営にあたることになり東京読売巨人軍に改称)。この業績から正力は日本プロ野球の生みの親とされています。
巨人軍の初代エースとして名を残している沢村栄治投手を説得して入団させたのがオーナーである正力とされ、沢村本人は慶応への進学を希望していたものの、「一生面倒をみる」と説き伏せられ、裕福でない家庭の事情への配慮もあって巨人軍に入団しました。
ところが太平洋戦争中には、2度の徴兵で傷つき肩と肘を負傷した沢村投手を冷酷無比に解雇しています(沢村投手はその後、3度目の徴兵を受けて27歳で戦死)。
■A級戦犯指名とその後
敗戦後には、戦時中に大政翼賛会総務や小磯国昭内閣顧問を務め戦争に荷担していた関係からGHQによりA級戦犯容疑者として指名され、巣鴨拘置所に収容されている最中に公職追放を受けます。
しかし朝鮮半島の情勢不安などの影響から追訴を免れて二年も経たないうちに釈放されており(いわゆる戦後逆コース)、そこからの縁でアメリカCIAのスパイとなり個人コードネームまで与えられるようになりました。
釈放後の正力は野球のほか原子力発電の普及啓蒙にも取り組み「原子力の父」などとも呼ばれますが、そのような活動をしていたのはアメリカの意向を組んでのものであったという側面が大きいとされます。
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ところで、正力は読売ジャイアンツに対して「巨人軍は常に紳士たれ」という遺訓を残しているのですが、こうした略歴を見ていくと、どの口でそんなことが言えるのか理解に困ります。また、たとえ功労者としてもこのような人物の名を冠した賞を設けているプロ野球界の姿勢、それを格式高い賞として喧伝する読売新聞社の姿勢に大きな疑問を抱かざるを得ません。
それはまるで、日本のみならず中国や朝鮮半島、東南アジアの大勢の無辜な人々に塗炭の苦しみを舐めさせ命を奪ったアジア太平洋戦争へと繋がる、かつての大日本帝国の強いた圧政やファシズムに対する反省を放棄し、戦前の国家主義意識をいまだに何も変えられていない日本の一部の(もしかすると、多くの)人々の姿勢を如実に反映しているように思えます。
また、こうした問題から目を背け、「そんな、堅いこと言うなよ」という態度を取ってしまうとしたら、それは彼らと同じ姿勢に相違ありません。
或いはもっとキツく「自虐史観」なんて言葉を使って非難する向きもありますが、過去の過ちとそれによる膨大な数の被害者の苦しみに向き合うことを積極的に拒絶し、この国の良いところだけ見て「自分たちの国はいい国だ」なんて盲信と癒しに浸りながら口汚く罵るのは、人間として最も醜いものを見せびらかされているようで、嫌で嫌で仕方ありません。
そんなわけで、プロ野球という厳しい勝負の世界で大きな足跡を残し、この賞に輝いた方々に対して異を唱えるつもりは一切ないのですが、今後、正力のこうした経歴や人間性を知り、現在の賞のあり方に一石を投じる知性と勇気を持った行動をとってくれる選手がプロ野球界の内側から出てくることに一縷の望みを託しつつ、この記事を締めたいと思います。
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